2004年09月01日(水曜日)
浅間山が噴火してしまいました....。これ以上酷くならなければよいですが不安です。浅間山は日本の活火山の中でも指折りの活動の激しい山です。大規模の噴火は近代に入ってからは特にないですが、小規模の活動は度々起きており、その不穏な動きが、怖いと常々思っていました。
昔、小さい頃、親に連れられてふもとの鬼押出し公園(鬼押出し=天明の大噴火の際の溶岩流の名称です)に行った事があるのですが、その時は妙に怖かったのを憶えています。散策コースでは弟が泣き出してしまうし.....とんでもないところに来てしまったという感じで楽しくなかったです....。w だって、木がほとんどなくあるのは敷き詰める様に一面を覆う黒い噴石と、不安をかき立てる分厚いコンクリートの非難小屋という不気味な世界なんだもの。奥に進むと、溶岩が通ったと思われる深い溝が怖いし、観光客も見かけなくなっちゃうし.....。いやあ、それから数年後また行った時(気を取り直して楽しもうと思い懲りずに行きましたw)でもやっぱり気味が悪いな、と思った箇所がいくつかあったのを憶えています。
そう恐怖感を抱くのには理由がもう1つありまして、浅間山は江戸時代の天明3年(1783年)に大爆発した歴史があって、その被害は凄まじく、遠いフランスのフランス革命の引き金にもなったとも言われる程です。遠い異国の地にまで被害をもたらしたのですからふもとの村が無事であるはずがありません。当時、鎌原村という村を初め4つの村がふもとにあったのですが、その天明の大噴火で「一瞬」にして鎌原村はなくなってしまったのです。村のほとんどの人が亡くなりました。ほぼ全滅といっても言い過ぎではないでしょう。(人口597人のうち死亡者は466人)
今でも観光名所の1つになっていますが、鎌原観音堂というお堂があります。当時ここは小高い丘にだったので、噴火の際ここへ避難してきた人だけが助かったと言われています。当時50段あった階段は現在は十数段しかありません。.....溶岩(研究結果から、熱泥流ではなく常温の土石流だったそうです)で埋まってしまったのです。20年程前にその階段付近を発掘したところ、二人の親子とおぼしき遺体が発見されました。子供を背負う様な形で発見されたそうです。確か、その段には赤い橋が架けられていて供養碑が近くにあったはずです。
そんな歴史から、日本のポンペイとも呼ばれています。
......行ってみればその爪痕が未だに残っている事に気付くと思います。(もっとも噴火してしまった今現在は封鎖されて行けないでしょうが。) 今回テレビで流れた噴火の瞬間の映像に映った赤色の炎は気持ち悪い。その上に落雷も発生していて....あれがまさしく浅間山の姿なのだな、と改めて思いました。
本当に大丈夫かな.....なんだか無性に嫌な予感がします.....。思い過ごしであれば良いのですが。
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2004年09月03日(金曜日)
以前利用していたレンタルサーバ、COOL ONLINE にアップしていたページがなぜか現在、閲覧可能の状態です。一体どうなっているのでしょう??? アカウントは削除されて存在していないのに、アドレスは生きていると言う事は、サーバ上にあるデータは消しておらずアカウントの部分をいじって閲覧できない様にしていたの...でしょうか??? しかも今頃になってなぜ???
もしかしたらご存知のない方もいらっしゃるでしょう。去年の9月までの3年間、COOL ONLINEにお世話になっていました。当時、300MBの大容量はとても魅力的で、アドレスも今では当たり前になってしまいましたが、サブドメインが使え、とても短いアドレスに出来たので、大変満足していました。
出来ればこのまましばらく表示していてもらいたいものです....。
実は、移転告知がほとんどできなかったので、(どれだけ常連の方がいらっしゃたかわかりませんが)多くの方を見捨ててしまったのです。
本当に申し訳なく思っています。
......なつかしいです.....。
ttp://seventh-heaven.cool.ne.jp/
ttp://seventh-heaven.cool.ne.jp/material/
.....今、もう一度行ってみたら表示されていませんでした。本当に何だったの?
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2004年09月04日(土曜日)
以前に話したブログ設置についてですが、XREAに新しくサーバを移転しましたので、早速設置してみました。
まだ本当に初期設定の状態で、コメントも何も書き込んでいない状態ですが、なんとか稼働してくれそうです。ちなみに導入したブログのツールは、ユーザが多くポピュラーな「Movable Type」にしました。ちょうどバージョンが3.xになったばかりで、設置がうまくいかず多少難航しましたがとりあえず動いてくれているのでほっとしています。
コメントも過去にさかのぼって書き込めるので、今までNotebookに書き込んだ記事を手作業なので少しばかり面倒ではありますが、写そうと思っています。個人的に自分の書く記事は、日記というより文章数が(無駄にw)長い、(いかれたww)コラム形式ですので、こういうブログが合っているのではないかと思っています。
カテゴリ別に区分けもできますしカレンダーも付いていますし、ずっと前に書いた記事も簡単に閲覧できると思います。
ただ.....それ故に1つ問題が.....。
どうせ誰もこんないかれた雑記など見ないだろうと思い、調子に乗りすぎて書いた記事をブログに載せるのがちょっと怖いです。トラックバックやコメントが付けられるのがブログの最大の魅力です。晒し者にされ、荒らされるかもしれません...。
だいたいこのNotebook、最初っから暴走気味でした。いきなり、フェティシズムにサドにマゾでしょ、おまけにサロメ、マタハリ萌え.....すごく倒錯してしまっているヤツに思われるでしょうね。とどめは先月の戦争問題と吉原にスカトロ議長だもの(まだ言ってるw)。...これは地雷を埋めてしまったかも。
でもその反面、ゴシック建築、デカダンス、美術関連に、オジー&ランディ辺りは見てもらいたいなあ...なんて思ったりしています。
まあ、コメントを付ける際に、名前とメールアドレスを必要としたり、管理者がコメントを承認してから表示できる...などの機能があるので、最初は制限を厳しくしておけば良いのかもしれませんが。
思うに....サイトデザインが綺麗ならば、刳い文章がほどよいスパイスになってうまく変化できるかもしれない、と密かに思っています。う゛、でも....癲狂院だったりするし.....。ブログのタイトルは「Diary of a Madman」だし。
大丈夫かなあ......。
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2004年09月05日(日曜日)
もうなんと言い表せばよいやら......。
今日の新日曜美術館は、なんとギュスターヴ・モローを取り上げていました。
.....1時間たっぷりと堪能できました。本当に至福の時でした。NHKに感謝したいくらい...です。
ギュスターヴ・モロー...、Notebookで幾度となく取り上げているので、もうやめて、なんて言われてしまいそうですが.....ごめんなさい、本当に好きなので書かせて下さい。
同じNHK教育テレビで放送されている「世界美術館紀行」では、以前ギュスターヴ・モロー美術館を取り上げていましたが、「美術館」という枠内で取り上げられたため、モロー美術館以外に所蔵されている、有名な、「ヘロデ王の前で躍るサロメ」、「オイディプスとスフィンクス」、「出現(水彩)」などは紹介されなかったのが残念でした。今回は美術館という枠はないし、その上放送時間も1時間(厳密に言えば50分くらいですが)ですから、内容の濃さが違いは言うまでもありません。(「世界〜」は30分番組)
同じフランスでは印象派が時代の先端であり美術の主流であったのにも関わらず、モローは象徴主義という独特の美を追求していたのです。象徴主義という一応のカテゴリーはあるのですが、他の象徴主義の画家(クノップフなど)はまるで別物の様に個人的には見えます。.....「孤高の画家」とも呼ばれます。確かに私生活は俗世界とは隔離した世界を好んでいたようですが(かといって人嫌いとかなのではないし実際長年連れ添った恋人もいたし)、絵自体も同じことが言えるように思えます。
モロー以前に、絵画の題材として神話や聖書の物語を取りあげるのは、当たり前のことでした。しかしモローの取り上げ方が独特なのです。
サロメ....元は洗礼者ヨハネの斬首の場面のおまけのような存在だったのが、モローは、(破滅の)運命をもたらす女、すなわちファムファタルのように描くのです。「出現」では、サロメが指差した先には血を滴らせるヨハネの首がそこには「出現」しているのですが、背後のヘロデ王や楽器演奏者、死刑執行人には「それ」が見えていない様な素振りに見えます。誰も踏み込めない血塗られた聖域がふたりのためにそこにはあって、互いを見詰め合い、特にヨハネの首を欲しがる様なポーズをとり、きらびやかな宝石がちりばめられたヴェールを纏うサロメは.....妖しくも美しい。 「オイディプスとスフィンクス」も同様のことが言えると思います。通行人に謎解きをさせ答えられなかった者を殺してしまうスフィンクス、それを難なく解き退治したオイディプス.....ですが、モローのは、まるで男と女のような関係を思わせる様な雰囲気なのです。オイディプスの身体に抱きつく様な格好のスフィンクス、互いの目を見詰め合うふたりの姿は、訳ありの恋人の様にも見えます。張りつめた世界がそこにはあって、謎解きのゲームの駆け引きを演じているかのように見えます。
それまでの絵画は聖書の内容を見る人に教えるための宗教画としての役割が強かったのもあるのでしょうが、モローの場合は、とにかくありがちな神話の世界ではないことは確かです。言われた通りに、台詞通りに、役を演じる舞台から抜け出し思い思い演じているかの様な劇的さが......本当に大好きです。
ポースや表情もとても好きです。片手で蓮の花を掴み、もう片方の腕を力強く突き出し、うつむくサロメ、自分が八つ裂きにしたくせに竪琴の上にオルペウスの首を載せて抱き、優しげに俯くトラキアの娘.....、目を閉じた表情が多い様に思うのですが、あの表情が堪らなく好きです。のけ反るポーズもまた好きです。身を捩りうねるようなポーズが妙にリアルで、ぐっときます。
それらと関連していると思うのですが、「クラシックな絵画」という感じがあまりしないのです。特に目の描かれ方は現代でも充分受けるものだと思えるのですが.....。見る人と絵の間に分厚いフィルターのようなものを感じないんです。描かれている人物などが活き活きしているからかもしれません。カッコ良くて綺麗で重厚で...ポップとさえも感じてしまう位です。
そして、なにより緻密な設定...。宝飾、服飾、建築、植物....絵の中に描かれているあらゆるものがこれでもかとばかりに細部まで描かれているのには圧倒されます。サロメのヴェールなんかは本当に凄い.....。モローは1枚の絵を描く際に、資料収集によるリアルな描写、綿密な下書きを繰り返していたそうですから、これらの作業が、絵に幻想的ながらもリアルで生々しい表情を与えているのでしょう。
......もうこの辺りでやめよぅ。話すと止まらなくなってしまいます。本当に好きなんだから。 だから今回の番組は本当に楽しめました。そういえば、ナレーターが「世界美術館紀行」の時と同じ人でした。.....もしかして同時に制作していたのでしょうか。話も全く重なりませんでしたし。「世界〜」の方はモローの人生と女性観(ファムファタル)を取り上げつつ絵を紹介していましたが、「新日曜〜」では、モローの神話の取り上げ方や、純粋に絵の紹介をしている感じでした。
......そういえば以前、日経新聞紙上に続けて大きく掲載されたモローの記事についてのコメントしてなかった.....。あれはモローの絵というよりファムファタルについて語られた記事でしたが。
必ず書くっ。
「オイディプスとスフィンクス」(メトロポリタン美術館)
http://www.artrenewal.org/images/artists/m/Moreau_Gustave/
Oedipus_and_the_Sphinx.jpg
「オルペウスを抱くトラキアの娘」(オルセー美術館)
http://www.artrenewal.org/images/artists/m/Moreau_Gustave/
Thracian_girl_carrying_the_head_of_Orpheus_on_his_lyre_1865.jpg
「出現」(水彩:ルーヴル美術館)
http://www.artrenewal.org/images/artists/m/Moreau_Gustave/
the_apparition.jpg
「出現」(油彩:モロー美術館)
http://antimine.pe.kr/blog/image/Apparition.jpg
......世界で一番大好きな絵。一番大好きなサロメ。
「ヘロデ王の前で躍るサロメ」(アーマンド・ハマー美術館)
http://www.artrenewal.org/images/artists/m/Moreau_Gustave/
Salome_Dancing_before_Herod.jpg
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2004年09月17日(金曜日)
例のブログが、とりあえず形になりましたので、事前にお知らせしておきます。
http://www.seventh-heaven.jp/diary/
まだ仮運営ですので、コメント等はお控えください。(閲覧は構いません)
動作およびデザインは、Mac+IEのみ良好です。Mac+Netscape or Safariでは、トップページの段組みされている部分でデザインが崩れます。Winではまだ一切確認しておりませんが、経験上、IEならばおそらく大丈夫な気がします。いずれにしてもまだ少し修正する箇所があると思います。
メニューページ(http://www.seventh-heaven.jp/index2.html)のメニューからリンクされたら運営開始ということで、よろしくおねがいいたします。
.......ここ2週間ほど、ずっとこのブログの作業をしていました。
まったく....何一つ情報もないところからインストール/設定/カスタマイズしていくのには骨が折れます。とりあえず全記事は載せてみたのですが、カテゴリ分けが煩雑なこともあって修正の必要があるかもしれません。
それでも、出来上がったページを見ると、なかなか良くできたかなあと思っています。こんな雰囲気のブログは....ないのではないでしょうか。もっとも、このスタイルは「マリアージュ・フレール」スタイルですけどね。
この2トーンの組み合わせはまさに気品溢れるフランス流。
パッケージを一目見てすぐに気に入ってしまいましたから。
http://www.mariagefreres.fr/
http://www.mariagefreres.co.jp/
こんな素敵なスタイルを「Diary of a Madman」に使うなんて...怒られてしまいそう。
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2004年09月18日(土曜日)
実は...、高校に入ってすぐ、クラシックギターを1年程習っていました。とにかく高校に入学したらギターをやろうと意気込んでいたのですが、まだギターの知識も全くなく、当然ギターも持っていませんでした。
入学した高校には、軽音楽部とギター部がありました。「...軽音楽部があるのに、ギター部なんてあるんだ? ....ひょっとしてヴァイやインギー、ヴァンヘイレンとか特に洋楽志向のエレクトリックギターだけ弾く部なのかな....?」何も知らなかった自分にはなぜかギター部がそういう風に思えてしまったのです。もちろんもしかしたらクラシックギターなのかもしれない、とも思ったりもしたのですが。(←普通に考えてみたらクラシックギターに決まってるのですが当時の自分にはそう考えられなかったのでした。w)
素直に軽音楽部に入ろうとしなかったのが、さすが天性のあまのじゃく。w 「洋楽志向なのがやりたいし、ちゃらい軽音楽部なんて、い や だ。」(さすがDQN工房。我ながらイタ過ぎww)....って感じだったから.....。w まあ、確かに当時は学校が男女共学になって学校が新しくなったばかりだし、まして軽音楽部なんてのは、熱心に活動する様な部ではありませんし、実際演奏していたのは国内のバンドの曲だったらしいし....当時の(イタ過ぎる)自分には向いていなかったでしょうね。
そんなわけで、いざギター部の活動している教室へ向かい入部しようと扉を開いた瞬間.....しまったと.....気付いたのです。
「う゛、クラシックギターだ」
.....しかし時既に遅し。成り行きで....その日からクラシックギターを弾くことになってしまいました。もちろん弾きたかったのはクラシックギターではなくエレクトリックギターでしたが、うちの親はクラシック狂だしロックなんかは嫌悪する程でしたので、たぶん無理かな...と思っていましたから、まあ、それでもよかったのかもしれません。「どのみち同じギターだし、いずれエレクトリック弾くときに役に立つだろう」と思い改めました。
ちなみにそのギター部、部員が5人くらいしかいなかったんです。ちなみに全員女子で3年生。(それまでは女子校でした。)ですからこのまま1年生が入部してこなければ廃部になってしまうのですね。前はけっこうな人数だったらしいのですが、やはりクラシックは敬遠されがちなのでしょうか。......というか「あの」学校にクラシック好きはあんまりいなそう。w (いや、でも、芸術学科があったからそんなこともないはずなのだけど.......。) 一人男というのは肩身が狭かったです。おまけにギター初心者だったし。
顧問の先生はギターは弾かなくて、ギター教室で教えている人が学校まで来て下さって教えているというのです。ちょうどその時は来ない日でいなかったのですが、先輩から次のことを聞かされて驚きました。
「ギターを教えてくれる先生はね、おばあさんなんだよっ」
「しかも有名な人らしいよ」「ちょっと性格悪いよね」(←もっともこれは冗談ぽかったのですが知らない自分は真に受けました。)
((((゚д゚)))))
......おばあさんが? 教えるの?? ......教えられるのか???
有名? 自称なんじゃないの?
性格悪い? うそ〜???
((;・д・))ガクブル
........そしてその日はやってきました。
教室へ入って来た方は本当におばあさまでした。眼鏡を掛けた小柄なおばあさまでした。人柄も良く、性格が悪い、なんてことは全くありませんでした。ただ....敢えていうなら、指導が厳しかったのかも知れません。「違う!ここはこう!(びしっ)」「前に教えたでしょ、何、もう忘れちゃったの?」......けっこう何でもおっしゃる方でした。.....それでも優しかったと思います。
初めて先生がギターを弾くところをその日拝見したのですが、................凄い。凄すぎる。........とにかく上手いのです。先生なのだから上手いのは当たり前といえばそうなのでしょうが、失礼ですが窺う外見と演奏がまるで別物のように感じられました。正確なフレットワークにピッキング、速いパッセージもバッキングも織りまぜつつさらりと弾きこなしてしまうのです。.....想像してみて下さい.....70歳も過ぎたようなおばあさまが蜘蛛が這うような素早さでフィンガリングしていくのですから!弾かれるトーンも素晴らしい。音が詰まる事も無く艶があり本当にきちんと1音1音弾き切れていることは、すぐに分かりました。しばらく弾いた後レッスンが始まり、早速自分にもギターが手渡されました。ところが左利きですので、通常のギターは無理なのでは無いかと申したところ、あっさりと「利き手は関係ないから。はいこれ」と有無を言わさず、そのまま通常のギターを手渡されました。それまでエアギター(ギターを弾くマネ)では自然と左で構えていたので、不安だったのですが、なぜかすぐに違和感がなくなっていきました。
レッスンは、一人初心者の自分だけほとんどつきっきりの状態で教わっていました。子供用の教本を渡され(徐々に小さく増えていきましたが、大きな五線譜が各ページに2段位しか書かれていないもので、クマさんのイラストとか載ってるのw)、「これが1から7まであるけど、長々とやっていられないのでさっさと終わらすから。」と言われてしまいました。内心えぇ〜、なんだか教わる自分より教える先生の方が気合い入ってるよ〜って感じで初日から圧倒されっぱなしでした。......ただ救いだったのは、小学生の頃、エレクトーンを習っていたおかげで読譜はある程度できたので、いちいち音符1こずつ「ド....レ.....ミ.....」と読んでいく必要はありませんでしたので、とにかく指板のポジションを把握して譜面通りに弾く事が課題でした。 アコースティックやエレクトリックギターだと、ギターを手にして初めに弾くのは、どちらかというとコードを弾く場合が多いように思いますが、レッスンはいきなりリードメロディを弾いていく事でした。ローポジションのCメジャースケールをとりあえず覚えたら、とにかくメロディを弾きまくるのです。指が小さく手も小さい自分には幅の広いクラシックの指板はなかなかきついものでした。その後、さっさとハンマリング、プリング、スライド、ハーモニクスと技法を習っていきました。
弾く曲はもちろんクラシックでした。バッハやショパンなどの有名曲の簡単に弾けるメロディの一部分や、グリーンスリーヴスなどの民謡なども弾いていました。クラシックは嫌いではなかったので、弾く気が失せる、なんてことはありませんでした。練習はほぼ1日置きだったような気がします。実はその先生は自宅でギター教室を開いていてなおかつ出張によるレッスンもしていたのです。60歳をを過ぎて運転免許を取ったそうで、かなり遠くの方まで出張していたようです。.........知れば知る程、この人は凄い、ふつーのおばあさまじゃない....と思い知らされるのでした。
冬に、ある大学......名前を出しても差し支えないと思いますが、高崎経済大学との合同コンサートがあるので、そこで演奏する事になったバッハの「小フーガ」を夏辺りから徐々に取りかかるようになりました。暑い夏の日でも教室で弾いていました。3年の先輩は学校でのレッスンが終わったら帰る事が出来たのですが、自分だけなぜか先生の御自宅まで連行されw、さらにレッスンを受けるハメに。部活動のない日でも自分だけ先生の教室へ通って練習していました。 いやあ.....車で送り迎えしてくれるのは良かったのですが.......何度か交差点で危ない目に。w 先輩に「明日会えるか心配だ」なんて言われました。ww それでもよく60を過ぎて運転する気になったものだと感心しましたけれど。車内で変わったクラシックの曲を掛けてくれたりして、その豊富なキャパシティにも驚かされました。.......口笛によるオーケストラとか、変わったのがありました。(きちんとヴィブラートも掛けてあったり、トーンも、本当に音楽的........あれには驚きました。)
ちなみにパートはバス。クラシックギターには、プライム、アルト、バスなど他にも種類があり、プライムというのが、いわゆる普通のサイズで、レギュラーチューニングEADGBEです。バスは.....よく覚えていないのですが、おそらく普通に言われるバリトンだったかと思います。全弦を完全5度下辺りまでドロップしたチューニングだったと思います。そこで参ったのがいわゆる移調楽器として扱われていた事です。小さい頃にエレクトーンを習っていたせいか、中途半端に絶対音感が身に付いてしまっていて、単音や幹音(自然音/ピアノの白鍵部分)だけは音を聞いただけで何の音か分かってしまうんです.....。(そのくせ耳コピが苦手っていうのはどういうことだ....。耳が腐っているな。w)「固定ド」(Cメジャー以外のキー、例えばDメジャーでもEメジャーでもドレミ...で表す)で説明されると、実音とは違う音名なので....慣れるまで大変でした。
高経大との合同コンサートは.....あんまり記憶にないのですが、そつなく演奏できたのではないかと思います。もっともバスなのでそんなに複雑なメロディがあるわけでもないので、きちんと譜面を追っていければ大丈夫なレベルだったのでしょうけれど。
でも........その後、部を辞めてしまいました。当然、3年生が卒業し自分も辞めてしまえば廃部になることはわかっていましたが。もちろんギター部が嫌だった訳ではありません。先生が嫌いだったわけでもないです。........理由は.....秘密にさせていただきます。1つ言える事は、通っていた学校が自分には合っていなかったと言う事....。 それから歳月は過ぎた今でもそれだけは後悔しています。廃部させてしまった張本人ですから。いつか後輩が入部してきたかもしれませんし。........あの時もしも自分がランディ・ローズを知って傾倒していたなら狂うようにクラシックギターを弾いていたと....思います。ランディはオジーの下でメタルをやりながらも、クラシックギターを習っていましたし、生前、UCLAへ入学しクラシックの学位を取りたいと言っていたし、もしあのまま生きていたならば、クラシックの道へ進んでいただろうと、多くの人がそう言っています。.......知るのが遅過ぎました。自分で言うのも恐縮ですが、先生もなんとなく特別扱いして下さっていたように思えます。もしかしたらクラシックのギタープレイヤーにさせたかったのかもしれません。実際、先生の下で教わりクラシックのギタープレイヤーになっている人はたくさんいらっしゃるようですから。
あれから、時々、先生はお元気かな、と思う事がありました。ふと電話帳を見たりすると相変わらずギター教室を開いている様でしたので、おそらく元気でいらっしゃるのだと思い安心していました。
少し前に、久しぶりにそんなことを思い出していました。当時70歳位でしたから今なら80歳近く.......お元気であれば良い....と思いながら、初めてネットで検索してみました。有名な方だと聞いていたので必ず何か情報があるはずだと。でも.......見つけた記事は悲しいものでした。今年の2月に亡くなられていたのでした。亡くなる直前までいつものように何時間もギターを練習していたのだそうです。......また罪が1つ増えてしまいました。お葬式に出られなかったのは悔まれます。そんな中、9月はじめに、ある1本の電話がかかってきました。家族が出たのですが、相手の方はなんと先生の娘さんだったのでした。追悼コンサートを開くのだそうで、生前、先生がよく自分の事を話していたので、連絡した、とのことでした。............実際どんなことを話していたのか分かりませんが、1年も教わっておらず、逃げ出すように辞めてしまった者のことを憶えていてくれた事は.....とても嬉しい事でした。コンサートの日時は、そう、今日9/18でした。
もちろん見に行きました。そこに先生はいないですが行かないわけにはいきません。あの世でこれ以上説教されるわけにはいきませんから。w 会場は高崎の市民文化会館だったのですが、そんなにお客が入るのだろうか、と疑問に思っていましたが、.....最後まで先生の凄さを知らなかった様です。開場前から行列が出来ていて、席は即満席の状態。しかも年齢層は幅広く、中高生辺りから年輩の方まで........全く驚かされました。会場の司会の方もおっしゃっていましたが、皆口を揃えて言うのは、演奏の腕前だけではなく、その人柄に惹かれていた、ということです。これには間違いなく同感です。時には厳しかったですが、面倒見の良い優しい先生でした。押し寄せた人達の数が何よりの証拠です。ちなみに.....先生は、ギターの合奏団も創設されていてコンクールで連覇する程レベルは高かった様です。これは案内状を見て知ったのですが、現在は先生の娘さんが教室も、合奏団も受け継いでいる様です。コンサートでも演奏を披露していましたが.......先生同様に激ウマでした。姿もそっくりでした......。
ネット知ったのですが、先生は、日本ギター合奏連盟の副理事長を務めていたそうですから、とんでもない人からギターを教わっていたのでした。しかもギターを初めて手にし手ほどきを受けたのが、あの先生だったのですから、幸運なことです。
........先生のことや教わった事は、ずっと忘れません。どうもありがとうございました。
簡単に先生のプロフィールがあります。
http://www.guitarists.or.jp/seikain09.html
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2004年09月23日(木曜日)
引っ越したサーバのXREAには、アクセス解析機能が付いています。小さいバナー表示をさせる代わりに非常に多機能で詳細なデータを取得できるXREA独自のアクセス解析機能もありますが、最初から備え付けられているものは「Analog」という、解析プログラムです。Analogは、シンプルながら意外にしっかりした機能(?)を持つアクセス解析を持っていまして、なかなか満足しています。以前のサーバに取り付けていたアクセス解析も備え付けで「Analog」を用いた解析機能があったのですが、遣い勝手が悪く、フリーのCGIスクリプトによるアクセス解析でまなかっていたのですが、機能にはとても満足していたもののとりこぼしがあったりして、なかなか素直に実態を掴めないもどかしさが多少ありました。XREAに用意されているAnalogのアクセス解析は、1日ごと、30日前までしか見られませんが、以前に使用していたものと比べると非常に良いです。
アクセス解析を嫌う閲覧者の方はいらっしゃると思います。その気持ちは分かります。行動を把握されていそうで嫌だ.....と。しかし、他のサイト管理人も同様だと思いますが、そういうことを知るのが目的なんて事はありません。
利用目的はやはり、サイト運営、コンテンツ制作の向上のためです。どのコンテンツが多く閲覧されているか、どういう環境(モニタサイズ、ブラウザなど)で閲覧されているのかなどを知る事が出来るのは、とても有益です。それともうひとつはやはりリンク元を把握できると言う事です。Analogだと、直リンしているサイトも把握できるのでこれは嬉しいです。
そう........実を言うと、直リンしているサイト.....困った事に多いのです。MIDIはもちろん、MP3まで直リンする始末。もしかしたら気に入って下さっているのかもしれませんが、やはりそういうのは控えていただきたいと思います。しかも断り無く貼っているから.....心火を燃やしています。 そういえば直リンしているサイト中におかしなサイトがありました。ご自身でバンドをされていて自作曲もあるのにも関わらず(良い感じでした)、うちの糞曲をわざわざ直リンしてBGMにしているというのは..........一体。ご自身の曲をMIDIデータにして流せば良いと思うのですが。とにかく直リンが後を絶たないので、.htaccessで直リン禁止の措置を取りたいと思っています。以前のレンサバではhtaccessが使えない環境でしたので無防備でした。直リンする側も問題がありますが、サイト管理人である以上、それなりの自衛策を採るのも「管理」の1つだと思っています。
もちろん今までどおり自由にMP3やMIDIがダウンロードできる状態にしておきます。(そういえばラストバイブルIIのMIDI、アップしているはずなのにNotFoundになってしまっているのに気付き、なぜなのだろうと思っていましたが......大文字と小文字は区別して認識されてしまうんですね。前鯖では大丈夫だったのですが。すみませんでした、直しておきます。)よく右クリック禁止にしてダウンロードをさせないようにしているサイトありますが、あれってマックには関係ないので、すごく滑稽に感じます。そんなにダウンロードされるのが嫌なのならアップしなければよいのに....と思うのは間違っているのでしょうか。好きにダウンロードして楽しめるのが良いところなのに......。CCCDと同じ気がします。利用者の全てがモラルのない人なのではなくて一部の人によるものであって、多くの良識ある人達の楽しみを奪ってしまう........。右クリック禁止の他にもいろいろな手法を使ってダウンロードを妨げようとしますが、それって結局は(その場凌ぎ、一時しのぎという意味において)姑息だと思います。だっていくらかの知識があれば、どのみち結局はダウンロードできてしまいますから。なおさら滑稽です。
同じ制作者として、自分の著作物が乱用されるのを防ぎたい気持ちも分からなくないです。ただ、あまりに制限を掛けすぎると嫌味な感じに捉えられてしまうし、どこまで策を投じるかの線引きが難しいのかもしれません。本来ならば、電子透かしなどの技術を使えば良いのでしょうが、まだ個人一般のレベルまで浸透していませんから頼りにならないし.....こういう著作関係の部分でのWeb技術を、W3C辺りで協議して頂いてHTMLに盛り込んでもらえれば、いいかも....なんて思ったりします。
話を戻して、Notebookを公開するべきだと思ったのは、アクセス解析の検索単語の結果が意外だからでした。ノートルダム、サロメ、ファムファタル、モロー、ゴシック、さらには、Dahut、グラドロンまで.........あなた達は誰だ、オレですか?w......いやいやなんだか嬉しいです。せっかくヒットしてご覧下さるのに、表示されたページに表記されていないのですからぬか喜びをさせてしまって申し訳なく思います。.....どうやらヤフー、グーグルでは、ちょうどロボットが来た時のNotebookの1ページ目だけがキャッシュされるようで、それから日にちが経ってしまった後で検索して閲覧すると、表示されたページには該当する内容が載っていない、ということになってしまうのです。過去ログを含めくまなくNotebookを探せば必ず見つけられるでしょうが、一見さんがそこまで労力を割くわけもないでしょう。そこでブログです。カテゴリー別、月別に表示できますし、コメントも投稿できますしリンクも貼れます。
........だからといって自分のブログがそう利用されるべき内容であるかどうかは、また別の話ですが。w 何はともあれ、オープンな状態にするべきだと思いました。人の意見は様々ですから、賞められる意見だけを望むなんでいうのは虫が良すぎる、ということですね。 果してどうなる事か予測はできませんが、結局いつも通り、閑古鳥が威勢よく鳴くのではないかと思われます。.......静かな方が癲狂院らしいよw。
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2004年09月25日(土曜日)
少し前の話なのですが、先月(vol.54)のCasa、何気なく本屋でぱらぱらとめくっていたら二人の建築家の特集が組まれていたので、買ってしまいました。(ニッポンのモダニズム建築100というタイトルにも惹かれましたが)
この二人は共に建築家なのですが、共通するものは、群馬県だということです。それぞれふたりを群馬に引き寄せたのもまた同一人物、井上房一朗でした。房一朗は、当時、建設会社の井上工業(高崎の白衣観音像を建てた会社として有名)の社長の息子であり、芸術への造詣が深く、芸術家のパトロンでもありました。高崎市に群馬音楽センターという施設がありますが、レーモンドが手掛けた中で最高傑作とも言われています。戦後直後の貧しい時代に、房一朗は「人々の心に灯火を」と、群馬にオーケストラを結成させました。そして、演奏する場の設計をレーモンドに委ねたのです。コンクリート折板構造といって、V字型のような形の中にいくつもの襞の様にコンクリートの壁を形成しています。今まで何度かそこへ行った事がありますが、建物には目を向けていませんでしたので、あまり記憶にありませんでした。内部の写真が掲載されていましたが、改めてみるとその蛇腹のような構造が舞台から客席へ広がっていく様は素晴らしいです。レーモンドは他にも房一朗の邸宅をも手掛けています。(井上房一朗亭 現在は高崎哲学堂の名称)最近になって一般公開されるようになったらしいのですが、是非とも見てみたいものです。意外な事に高崎駅からすぐのところにあるんですよね......。
ブルーノ・タウトは、桂離宮や飛騨白川の合掌造りの素晴らしさを世界へ紹介した建築家としても有名ですが、この人、実は一時期、群馬の少林山達磨寺「洗心亭」に住んでいた事があるのです。房一朗によって工芸品のデザインをまかされ、それらは軽井沢と銀座に井上の持つ店「ミラテス」で売られていたのだそうです。タウトの名こそ有名ですが、日本で手掛けたのはたった2つなんですね。しかも現在拝めるのはたった1つ、熱海の日向別邸のみ。
.......群馬県民でもなかなか知る人はいないのかもしれないですが、群馬県にゆかりのある二人の建築家、なんとなく県民として自慢したくなる話です。
もうひとつの特集(こちらがメインですが)、日本のモダニズム建築を紹介していたのですが、こうしてみると、全国各所に素晴らしい建築が今も静かに構えているのですね。そんな建築達が、取り壊しの危機に遭っているそうです。老朽化や維持費、諸々の事情によりこれまでにも素晴らしい建築が消えていきました。仕方無いといえばそうなのですが、できるだけ残していってもらいたいものです。個人的に明治以降の近代建築はとりわけ好きなので、こういう話は哀しいです。まあ逆の考えでいけば、破壊と創造の繰り返しが行なわれているからこそ、文化の発展があるのだとも言えそうですが。
........ちなみに家で読み初めて気付いたのですが、........あゆが載ってました。丹下健三が手掛けた、国立代々木競技場に対して愛着があるそうで、短いインタビュー(というよりQandA形式)でしたが、まさかCasaで見かけるとは思っていませんでした。そういえば表紙の人物もどこかでみたような顔だと思っていたら、やっぱりあゆでした。むむむ......ヴィトンのコート羽織ってる...\980,000.....? ベルトだけで\280,000?.....うわあ。 そういえば少し前にまたルイヴィトンのお店がオープンしたそうですが、やはり手掛けたのは青木淳なのでしょうか.....そっちのほうが気になる....。とはいえ、誌面に載っていた鋲がびっちり打ち付けられた少し暗めのトーンの重厚なトランクケースは素敵でした。
今月のCasaは安藤忠雄か.......また買ってしまいそうです。あの人大好きだから。
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BRUTUS ONLINE [カーサ ブルータス]vol.54 特別号 Bilingual Issue
ブルーノ・タウトについて
井上房一郎について
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2004年09月27日(月曜日)
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せっかくシスプリの呪縛から解き放たれて、「萌え」から脱却されるかな.....と期待していたのに、またこういうゲームのキャラクターデザインを手掛けるの? ちょっと残念です。......なんて最初は思っていたのですが、むしろこういうのにはあの人が一番適役なのかもしれないと、(無理矢理)思い改めるようになりました。それにこれで売れるならそれはそれで商業的に成功ということなのだから、素晴らしい事だし、地位を確立できるかも知れないし、ファンならば温かく迎えてあげるべきなのかも知れません。.......でも、個人的には、あの人のゴシックポップというべきか、独特のダークさとクラシックとポップのセンスを取り入れた作風がなにより大好きなので、そういうのをメインにしてほしいな...と常々思ってしまうのです。あの人がサロメやマタハリ、ムーランルージュを描いたらどうなるかなあ...とよく想像を巡らします。とても素敵な仕上がりになるだろうと確信しているのですが.......それはさすがに無い物ねだりかもしれませんね。 もしかしたら童話や寓話などの挿絵も似合っているのかも......なんて思ったりもします。コミッカーズでのインタビューでは、どことなく自身の作風を「萌え」と捉えられるのを否定したいような発言だったので、なおさら今回の話には、びっくりしています。........いや、仮想の世界=お伽の世界として描きたいのかも...........?
何時まで経っても、謎な人のままです。
話は変わりますが........千影で検索していたら.......吉原某店に同名の姫が......いました。写真はなかったから分からないですが、もし似てたら本当に笑えないかも。「兄くん」共が集結しそうだ。w
.............さぞ、しこたまエリクサーが飲めるのだろうね。
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レンタルサーバをXREAに変えてから、以前利用していたレンタルサーバ(敢えて名前は伏せさせていただきます)のことなどすっかり忘れていたのですが、久しぶりに2chのレンタル鯖板にある、その利用していたレンサバのスレを見たら、ちょうどXREAに乗り換えた直後の9月初めからすごい鯖落ちをしているようなのです。その時もまだ全く復旧していない様で、書き込みがいつもだったら1月に1つあれば多い方だったのが、すごい書き込み数になっていてユーザの悲痛な叫びが聞こえてきそうな程でした。.....実は自分もこの鯖を利用し始めた直後に鯖落ちに遇いまして、あの時も酷かったです.....全データが吹っ飛びましたから。ようやく全てアップロードし終えて一段落つけると思っていた矢先の出来事だけに、怒りを通り越して脱力感で一杯でした。今回の鯖落ちは、全データが消去されてしまうことはそれほどなかったようですが、長期に渡りFTP不通、閲覧不能な状態が続き、CGI/データベース辺りは、その後機能しないという事態に陥ってしまったようで、大変なようです。しかも酷い事に、サポートなどの対応が全くなく、アナウンスもない状態というのは一体.....、見切りを付けて良かったと心底思いました。エクソダス成功、かも。w 本当に、XREAが新天地の様に感じます。
......例の狂鯖、過去にこんな事件があったのを知ったのは利用し始めて1ヶ月後のことでした.....。もうこの時から来年は乗り換えようと心に決めました.....。
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2004年09月29日(水曜日)
今回新しく設置したブログのデザインは、以前、閉鎖告知ページでも一時使っていましたが、フランスの老舗紅茶ブランドの「マリアージュ・フレール」のトーンを採り入れています。初めてマリアージュ・フレールを見たのは、(今年の初め、東山魁夷の後期展の際に立ち寄った)横浜の赤レンガ倉庫内の輸入食料品のお店だったと思います。たまたまふらっと入って店内を物色していたら、一際目立つ漆黒の小箱が目に留まりました。黒を基調にアイボリーの文字色とクラシカルなフレームがあしらわれたパッケージや缶は、一目見て気に入ってしまいました。それに名前が「マリアージュ・フレール」.....あぁ、なんだかいかにもフランス的な上品そうな響き。(.....知らない名前だなあとその時は思ったのですが、実は、日経の土曜日に折り込まれるNIKKEIプラス1で、以前見た紅茶ブランドのランキングに入っていたのでした......。) いくつか棚に並べられていたのですが、パッケージに記載されている紅茶の名前がダージリンとかモーニングとか見れば一目瞭然、というようなネーミングではなくて、マルコ・ポーロ、エロス、ファラオン、カサブランカ.....というようなものばかりで(この独特のネーミングのセンスにも惹かれました)、一体どんな紅茶なのかさっぱり分からず、唯一そこにあった中で分かったヴァニラ(TJ871 VANILLE DES îLES)のを買ってみました。以前、(マリアージュではなく無ブランドのもの)ヴァニラのフレーバーティは近所のスーパーで買った事があり、香りと味が気に入っていましたので外れる事はないだろうということもありこれにしたのもあるのですが、他の種類のはみなヴァニラのより値段が高かった!w 数百円の違いですけど、それまで高級なイメージを持っていた同じくフランスの紅茶「フォション」よりもマリアージュフレールの方が全体的に高めでしたので......。トワイニングが500円程なのに対して....フォションは1200円、マリアージュは1500円程するし.......ちょっと驚きました。いや、それくらいが普通だよ、なんて言わてしまえば頷くしかありませんが。サイトを改めて見ると\2,000近いのが半分程....あぁ。
買ってから数日は勿体ないような気がして開けられませんでした(←......。) パッケージを眺めるだけの日々が続きました。w 満を期して(?)ようやく封を開け喫んだのですが、うぅ......香りと味が......上品すぎる........。以前喫んだ無ブランドのヴァニラもおいしかったけれど、それとは違い、単に香りを付けたという感じではなくて、香りは少し抑え気味で茶葉も良いのか本来の紅茶の味とまとまった.....そんな感じがしました。今も大事に喫んでいます。本当はしょっちゅう買って喫みたいところでですが、スーパーで売られているトワイニングを見ると、ついついそれにしてしまいます。実際、トワイニングのダージリンは好きです。(ハロッズのもおしいので好きかも)好みと値段は必ずしも一致しないものです。トワイニングのダージリンを喫む時は、もちろんそれだけで喫む時もありますが、ラベンダーやミントなどのハーブやシナモンやミルクなどを入れたりして喫む事も多いです。しかしこのマリアージュフレール、この辺りではちっとも見かけません。(←田舎な証拠だw) 銀座にある直営店には450種類の全てが揃っているそうですが.......その漆黒の小箱が一同に並べられた様は、さぞ凄いのだろうな....となおさら惹かれてしまいます。450種って本当にそれぞれ違いがあるの?と素人にはそう思えてならないのですが、でも本当に違うのでしょうね。というより全種類喫んだ人がどれだけいるかが気になります。金額だって単純計算として450種×\1,500=\675,000........。年季を入れて喫んだとしてもそれでは喫み比べできないし.......。
このマリアージュ・フレールというブランドは、「フランス流紅茶」を追求しているそうなのですが、自分にはこれが具体的にどういうものなのかまだいまいち分かっていないのですが、何となく感じる雰囲気はパッケージやその紅茶の味や香りから察する事はできます。
"いまやその世界をフランス流紅茶芸術といえるものにまで昇華することができたといっても過言ではないと思われます。 マリアージュ フレールが提唱するフランス流紅茶芸術において、「魂の飲み物」であるお茶にまつわるあらゆるものを取り揃え〜"(サイトより引用)
..........なんだか凄い。銀座本店では販売だけでなく実際に喫む事が出来るようで、
"まさにメゾン ド テ、フランス流紅茶専門店と呼ぶにふさわしい紅茶の館。1階の深い色合いの扉を気軽に開いてみてください。"
.......らしいです。.....売り文句が既にフランス流な気がする....。 いつか訪れてみたいな....。
マリアージュフレールも気に入っていますが、......もう一つ、気になっている紅茶ブランドがあります。レピシエという、元は茶葉の卸しを手掛けていた企業が小売りにも参入した日本のブランドです。以前、ネットのお知り合いから教えて下さったのですが、実は未だに喫んでいません......。(カチャy=ー( ゚д゚)・∵. ターン.....ゴメン..カッテクルヨ) サイトを見たのですが、マリアージュ同様に、妙にそそるネーミングになっているし、いやあ....喫んだら絶対はまると.....自分でも思います。手軽にネットで入手できるのも良いし、なにより値段も低めなのが嬉しい。
.......こうして思うことは、紅茶って奥が深くてなおかつとても世界が広い、ということ。
ブランドもブレンドも、多種多様で....今の自分は地図1枚持って大きな海に投げ出されたような感じ。幸い、前述の様に紅茶にお詳しい方がネットでおりますので......何かあったら..........よろしくおねがいします。w
レピシエ
マリアージュ・フレール(日本)
マリアージュ・フレール(フランス)
ちなみに、このブログのデザイン(というよりは色調)は近いうちに改めて変更します。長く画面を見続けていると、走査線が走った様な残像が残ってしまう.....。w テキストの色の明度が高過ぎるから? .....それに、マリアージュフレールに申し訳ないですから。だって「Diary of a Madman」だもの。w 表面上は綺麗めなのに中身は最狂なんだもの。ww
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2004年09月30日(木曜日)
ミケネコさんのサイトが閉鎖してしまいました......。ミケネコさんが亡くなられたためだそうです。......ついこないだ訪れた時はいつも通りだったのに、突然こんな閉鎖でショックを受けています。もちろん面識などありません。ですが、.htaccessなどのウェブ技術のコンテンツには大変参考になり、リンクにも追加する予定でした。このサイトをご存知の方も多くいらっしゃると思います。
本当に有益なサイトで、何度となく訪れてた割にはコンテンツの保存などしていませんでした。.....だって、いつだってそこに行けば見られると思っていたから...........。
近いうちに有志の方達がアーカイブを別サイトにて公開するとの話も耳にしました。ぜひそうしていただきたいです。ずっと公開され続けるべきコンテンツなのですから。また今後も訪れたいし。
ネットを彷徨っていると、時に主のいないサイトに遭遇することがあります。どこも、静かに優しい時間はゆっくりと流れている様な...そんな雰囲気です。知り合いの方達などによりサイトが存続している、というのはこの世にいないご本人にとっても嬉しいのではないでしょうか。それは同時に、そのサイトのコンテンツの充実さを証明しているのでしょう。
そういうことを目にすると、ふと自分のサイトのことも考えてしまったりします。もしもいなくなってしまったら、......やっぱりそのままレンタルサーバの利用期限が過ぎたら消えてしまうのだろうな、と。そう思うとデジタルコンテンツというのは、実にあっけないものなのだと思ってしまいます。足跡一つ残さず消えてしまうし。消えてしまったら、みんな忘れてしまうのでしょうね。ミケネコさんの様な有益なサイトはそんなことはないでしょうが、少なくとも自分の所は間違いなくそんな気がします。
そんな風に思うのは無しだよね、って分かっているけど...........。
R.I.P.
http://www.mikeneko.ne.jp/
http://web.archive.org/web/20040131062514/http://www.mikeneko.ne.jp/〜lab/
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