Diary of a Madman

癲狂院に置かれた或る一冊のノートブック
狂気の記憶が焼き付いた、深淵なる倒錯の記録の数々。
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防災の日に噴火なんて...

 浅間山が噴火してしまいました....。これ以上酷くならなければよいですが不安です。浅間山は日本の活火山の中でも指折りの活動の激しい山です。大規模の噴火は近代に入ってからは特にないですが、小規模の活動は度々起きており、その不穏な動きが、怖いと常々思っていました。

 昔、小さい頃、親に連れられてふもとの鬼押出し公園(鬼押出し=天明の大噴火の際の溶岩流の名称です)に行った事があるのですが、その時は妙に怖かったのを憶えています。散策コースでは弟が泣き出してしまうし.....とんでもないところに来てしまったという感じで楽しくなかったです....。w だって、木がほとんどなくあるのは敷き詰める様に一面を覆う黒い噴石と、不安をかき立てる分厚いコンクリートの非難小屋という不気味な世界なんだもの。奥に進むと、溶岩が通ったと思われる深い溝が怖いし、観光客も見かけなくなっちゃうし.....。いやあ、それから数年後また行った時(気を取り直して楽しもうと思い懲りずに行きましたw)でもやっぱり気味が悪いな、と思った箇所がいくつかあったのを憶えています。

 そう恐怖感を抱くのには理由がもう1つありまして、浅間山は江戸時代の天明3年(1783年)に大爆発した歴史があって、その被害は凄まじく、遠いフランスのフランス革命の引き金にもなったとも言われる程です。遠い異国の地にまで被害をもたらしたのですからふもとの村が無事であるはずがありません。当時、鎌原村という村を初め4つの村がふもとにあったのですが、その天明の大噴火で「一瞬」にして鎌原村はなくなってしまったのです。村のほとんどの人が亡くなりました。ほぼ全滅といっても言い過ぎではないでしょう。(人口597人のうち死亡者は466人)

 今でも観光名所の1つになっていますが、鎌原観音堂というお堂があります。当時ここは小高い丘にだったので、噴火の際ここへ避難してきた人だけが助かったと言われています。当時50段あった階段は現在は十数段しかありません。.....溶岩(研究結果から、熱泥流ではなく常温の土石流だったそうです)で埋まってしまったのです。20年程前にその階段付近を発掘したところ、二人の親子とおぼしき遺体が発見されました。子供を背負う様な形で発見されたそうです。確か、その段には赤い橋が架けられていて供養碑が近くにあったはずです。
 そんな歴史から、日本のポンペイとも呼ばれています。

......行ってみればその爪痕が未だに残っている事に気付くと思います。(もっとも噴火してしまった今現在は封鎖されて行けないでしょうが。) 今回テレビで流れた噴火の瞬間の映像に映った赤色の炎は気持ち悪い。その上に落雷も発生していて....あれがまさしく浅間山の姿なのだな、と改めて思いました。


 本当に大丈夫かな.....なんだか無性に嫌な予感がします.....。思い過ごしであれば良いのですが。

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