新潮文庫の100冊の中に「春琴抄」が選ばれました。..........ただしそれは去年のはなし。去年の今頃にそれをネタにしようと思っていたのですが色々あって今頃になってしまいました。
新潮文庫で谷崎潤一郎の作品が選ばれるとしたら、過去20年くらいの間ほとんどが「痴人の愛」で「春琴抄」が選ばれたのは2回くらいだったような。.........自分が谷崎の作品が好きなので贔屓する分もあるのですがそれでもこの扱いは酷いと思ってしまいます。
「彼女に踏みにじられたい、そんな欲望が君の心の奥底にもひそんでいるはずだ!」(2009年新潮文庫の100冊における「痴人の愛」のキャッチコピー)
「妖しい心を呼びさますアブナい愛の魔術師」(新潮文庫 「文豪ナビ 谷崎潤一郎」)
...............すっかりそういう扱いをされているのにあきれてしまいます。確かに谷崎作品にはマゾヒズムの内容もあることは確かですが、「単に」それだけではないでしょう? 私的な意見を言わせてもらえば、マゾとかどうとかではなく、ファムファタルな女が登場し、男の主人公がファムファタルにどう対峙するかどうかの話で、その結果多くの場合、マゾな態度になるだけのはなし.......という気がします。ファムファタルに出くわしたが最後、男は骸になる他ないのです。ギュスターヴ・モローの小説版という感じといっても差し支えないとも思えます。つまり、ファムファタルの絵を描かせるなら右に出るものがいないモローなら、ファムファタルの話を書かせるなら右に出るものがいない、それが谷崎潤一郎なのだと個人的には思います。
加えて「細雪」や「陰影礼賛」のように、日本の美を書き上げたものもあることを強調したいのです。精緻な文章で綴ってゆく日本の美、これらは「細雪」だけに限らず他の多くの作品にも背景としてよく溶け込んでいます。また、「日本の美」という範疇に「(日本)女性の美」「官能美」というものも含まれているということが、谷崎の作品の表紙絵も手掛けた加山又造の、日本画による女性のヌードの屏風絵.......あれに通じるものがあるようにも思えます。
単にマゾヒズムだけの話だとしよう、それならポルノ小説じゃないか、そういう扱いをしている様にしか思えない、新潮文庫の売り込みが嫌いです。
それと......噂レベルのネタですが、新潮文庫が「春琴抄」を選びたくないのは、本の値段が安いからだとか。.........それなら「細雪」にすればいいのに。(新潮文庫の「細雪」は上中下巻の構成になっています) というか「刺青」「春琴抄」「細雪」はもれなく100冊リストに入れてもらいたいです。
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