Diary of a Madman

癲狂院に置かれた或る一冊のノートブック
狂気の記憶が焼き付いた、深淵なる倒錯の記録の数々。
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神流川の戦い

 子供の頃、泳いでいた、その川.、実は戦国時代に合戦があったんです.....。しかもちょうど泳いでいた辺りで。

 1582年、滝川一益と北条氏政・氏直が神流川を境に戦った合戦を「神流川の戦い」といいます。
滝川一益は織田信長に仕えた武将で、信長から関東管領に任命され、上野(こうずけ)国(今の群馬県)の厩橋(うまやばし)城(現在の前橋市/群馬県庁庁舎)に入城しました。その後、信長が本能寺の変で死んだことに乗じて、北条氏政・氏直父子が上野へ攻め込み、当時も上野と武蔵(現在の埼玉県)の県境は同じで、その県境に沿って流れる神流川で両軍が衝突しました。...結果は北条軍の大軍の勝利で、一益は上野を捨て敗走します。戦いは激しく川が血で赤く染まる程だったようです。戦死者を供養するために、近くに首塚と胴塚を建てました。....昔聞いたことがあるのですが、(たぶん話に尾ひれがついたのでしょうが、)戦いから年月がさほど経っていない頃は、首塚のお堂(?)の奥に埋葬しきれない、おびただしい数の髑髏が見えたとか.....。 (((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

 ....そんな戦いがあった場所で、泳いでいたなんて、当時はそんなこと気にも止めなかったけれど、考えてみればちょっと怖い、ね。国道17号の神流川橋の群馬県側のたもとに石碑が立ってます。まさしく戦場の現場、です.....。当時の神流川はもう少し北側(群馬県側)を流れていたらしいから、***辺りは当時河原だったんじゃないかなぁ.....。

 たくさんの戦死者が出たにも拘らず、怪現象がおこらないのは、ほっとします.....。(ぉぃ) だって、夜な夜な落ち武者が町中を彷徨ってそうじゃない.....?  (((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル  きちんと供養してあげたからですかねえ.....。(気にしすぎ.....。)

http://sky.zero.ad.jp/ ̄zac28831/syashin-sekigahara2.htm
ここに首塚、石碑などの写真がありました.。(石碑、首塚、胴塚は新町(住んでる町です)にあります)

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