この辺りで話題を元に戻さないと......。レベルが幼稚ゾーンだ。w
ずっと前に(5月)に書きたかったことです。おそらく「プールダユ」という言葉をご存じの方は居られないと思うのですが、この言葉を探すのにその頃ネットを駆け回っていました。そして捜し回った結果、またもや意外な展開になったのです。
この言葉を見つけたのは、悪魔辞典の古典、19世紀フランスで出版されたコラン・ド・プランシーによる「地獄の辞典」という本の「イス(Is)」という項目の中に書かれていました。「イス」というのはフランス北西部の海岸に位置していたという伝説の都市で、今では水没してしまいその姿はないそうなのです。そのいきさつの物語がそこに書かれていました。
「イス」はグラドロンという王が統治していたフランス西部ブルターニュ地方にあった都市で、大変栄えた都市でした。しかし同時にあらゆる贅沢や放蕩がはびこるようにもなっていきました。グラドロン王の娘、「ダユ」は特に酷く、自ら乱行の限りを尽くす程で(ローマ帝国の王妃メッサリーナと同じかもしれない)、王や側近で予言者のゲノレの言うことも聞かず、城を出ては城下町で毎日、下人の男達と交わるのでした。グラドロン王だけは天罰を恐れそんなイスを憂いあらゆる手を打ちました。それでも堕落は一向に収まることはありませんでした。
......天罰が下る日が迫っていました。
ある日、予言者ゲノレは王に言います。「王よ、イスの堕落は極限にまで達し、神の腕が振り上げられました。海は溢れやがてイスの都市はやがて消え去るでしょう....。さあ逃げましょう」王はただちに馬を用意し娘のダユを後ろに乗せ、ゲノレと共に逃げ始めました。そして神の手は振りおろされ、凄まじい勢いで波が都市を飲み込んでいきます。やがて王達の馬のすぐ後ろまで迫り、まさに飲み込もうとしたその瞬間、恐ろしい声が響き渡ります。
「王よ、もしも助かりたいなら後ろに乗っている悪魔を差し出すがよい。」
.......躊躇している時間はありませんでした。
美しき王女ダユはうねる波に消えてゆきました。(このダユが溺れ死んだ場所がプールダユと呼ばれているそうです)
その後、嵐はやみ、空は晴れ上がりました。しかし、あの栄華だったイスの都市の姿はなく、辺り一面海になっていたのでした。
.....という物語です。なぜかこの話がすごく気になっていました。「王よ〜」のセリフは妙に好きだし、王女ダユも詳しく知りたい、何よりこのプールダユが現在の「ドゥアルヌネ湾」だということが書かれていたので、妙に真実味がある気がして、辞典内のイスの話以外にも気になるものがいくつもあったのですが特にイスの話は調べてみたい気持ちになっていました。そこで、とにかくグーグルで調べてみることにしました。初めはダユの英語表記がわからなかったので、日本語サイトのみに絞られてしまいましたが、検索したら意外な結果が。
......実はイスというのは「イース」だったんですね。そう、ゲームにもあるイースです。イースというゲームはプレイしたことないので内容は知らないのですが、ゲーム内にもダユのような少女が出てきているとか。.....しかし、そのゲームのイースも含めいくつかヒットした記事を読んだところ、どうも地獄の辞典に載っていた話と異なっていました。
イースが同じように堕落した都市で結果的に水没したのは同じなのですがそのいきさつが少し異なります。
話はこうです。もともと栄華を誇っていたイースの都市は海抜より低い場所に位置し、堅牢な水門により守られていました。そんなイースにある日、全身赤ずくめの美少年(あるいは王子としてイスにやってきた、という記述もありました)が王女ダユの前に現れました。ダユはこの少年が悪魔だとは知らずに恋に落ちてしまいます。(この悪魔は神による差し金だという記述もあり)やがて少年はダユに言います。水門の鍵を持ってきてくれ、と。すっかり心奪われていたダユは鍵の持ち主である父のグラドロンが寝ている間に鍵をくすねてきます。そして、悪魔の少年によって水門は全て開けられ、あっという間にイースは水没してしまいました。ダユは、それを悲しみやがて人魚になってその辺りの海に棲みつくようになったそうです。
そして、その後の話があることも分かりました。
クラシックの作曲家のドビュッシーはみなさん名前くらいはご存じだと思いますが、そのドビュッシーがこのイースの伝説からインスピレーションを受け「沈める寺」というピアノ曲を作ったそうなのです。.....この曲は知りませんでした......。
で、続きの話というのは、水没してから長い月日が流れたある日、漁師がその辺りの海で漁をし終え、錨を引き上げようとしたところ何かが引っ掛かっているようで、漁師が海に潜ってみると、教会の格子窓にひっかかっていたのです。しかもなんと、その教会内ではミサが行なわれており、多勢の人々が合唱していたそうです。その時もしもその漁師が答唱(司祭の聖書朗唱に会衆が定められた言葉を朗唱すること)していたならば、この沈んだイースの都市は浮上し、再びその栄華を誇ってただろうと言われています。
......なかなかドラマティックな話になっていますね。けっこうこういう話はそそられます。ドビュッシーがこういう伝説などに詳しい人だったのかどうかは分かりませんが、少なくともこの話はたしかに伝説として語り継がれていた、というのは本当ということになりますね。
これでだいぶわかりました。けれどもまだ分からない点が3つ残っています。1つは海外サイトでこの伝説のコンテンツを見つけられていないこと、ドゥアルヌネ湾というのはどこにあるのか、プールダユ、という言葉は本当にあるのか、ということです。日本語サイトではこれらは分からなかったのです。(単語が分からないため)それでもダユ(Dahut)とイス(イース/Y's)の単語は分かったので、この2つで徹底的に海外サイトを検索することにしました。
やはり海外はたくさん貴重な資料があるものです。
伝説の話が載っていたいくつかのサイトの中に特に詳しく書かれたサイトに、プールダユの単語を発見。"Poul-Dahut"と書かれていたのが.....おそらくプールダユだと思うのですが如何せんフランス語なので確信がありません.......。でもフランスのサイトで見つけたのですから間違い無いでしょう。英語訳もあったのでおおまかにはわかったのですが、ある部分だけイタリック体で記述してあった、何かの詩なのかもしれませんが、そこだけ英語訳でもフランス語のままだったので分かりませんでした。
そしてそして、なんとこのイースの水没が描かれた絵も発見しました。
"Fuite de Gradlon" (英語表記は"The Flee of King Gradlon")というタイトルの絵です。Luminaisというフランスのリアリズムの画家らしいのですが、ちょっとマイナーな方だと思います。(日本国内ではヒット無し。海外でも検索数は少なかった) 今まさに王女ダユを振り落とそうとする場面が描かれており、背景にかすかに見える町並みはおそらくやがて水没するであろうイースなのでしょう。
もちろんドゥアルヌネ湾のスペルも分かり検索していくと、現存する名前でした。確かにフランス北西部の先端に位置する半島の湾です。
そして.....現在のフランスの首都であるパリは、イスのように美しく栄華を誇るようにと、Paris(Par-Is)と名付けたのだそうです。
......というわけで、たかがプールダユが知りたいだけだったのにこんなにいろいろ得られるとは思いもしませんでした。最後の方はほとんど執念で検索し、時間もかかったのですが、それに見合うものは手に入れられたと思っています。全く.....ピンと来たものは詳しく調べてみるものです。前にも書きましたが本当こういうケースは多いです。プールダユとイースの水没の絵を紹介できるのは.....第七天だけ....かな。
リニューアル後に検索で出てきたサイトをリンクするつもりですが、ここではそのいくつかを紹介しておきます。
ttp://www.bagadoo.tm.fr/kemper/villedys.html
イースの伝説が詳しく載っています。プールダユの単語が出てきたサイトです(フランス語です)
ttp://www.bretagnenet.com/strobinet/pub/trobzh/kearis.htm
ドゥアルヌネ湾、イースの伝説、Luminaisの絵が載っています。(....フランス語です)
ttp://www.mairie-quimper.fr/musee/htcoib/oe_373.htm
Luminaisの"Fuite de Gradlon"が載っています。大きいサイズを見たい場合はこちら
ttp://www.artrenewal.org/asp/database/art.asp?aid=806
今回も水泳つながりのプールダユ。
少々強引ですが、プール太夫とも書けなくもない。w あれは「たゆう」だけれど。
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