感動の値打ちとレベルに高低なんてあるものなのでしょうか。
上に挙げた2冊は読んだ事は無いのですが、前に話題になっていたので名前だけは知っています。でも.......評価は芳しくないようです。少なくとも2ちゃんの文学版では、駄作の代表作のような扱いで、これに感動した....なんていう書き込みはほぼネタ扱い。リンク先のアマゾンのレビューもかなり酷いことになっています。これほどレビュー数が多い割に評価が低いものを見た事がありません。
こういう本は却って中身が知りたくなってしまいます。
でも..........そこで思う事があります。
上に挙げたものに直接結びつくものではないと思いますが、例えば、もし評価が低く稚拙だという本を読んで感動、あるいは良かったと思えてしまうことは、いけないことなのでしょうか。むずかしくて高尚な、あるいは評価が高い本を読んでこそ感動しなくてはいけないものなのでしょうか。もし仮に自分自身、上記の本を読んでいいなと思ったとしたら、それを恥じるべきなのか..........と思ってしまって。
音楽で例えるなら、チャートの上位にランクインしている流行りの音楽を、けなすような風にも思えてしまいました。この表現だと誤解されそうなので詳しく書きますが........よく、洋楽やたくさんの音楽を聴いてきた人達の中に、そういう風に流行りの、特に最近はCDの売れ行きが低迷し、おざなりで姑息な(=一時しのぎ)売り方をしているとも指摘されたりしますが......そういうミュージシャンや音楽を軽蔑する人がいます。洋楽のリスナーにおけるJ-POPの扱いもまた同様に見受けられます。
もちろん個人的な意見としては、そうは思いません。それに......もしミュージシャンの立場から見てクオリティが低いだの言われる音楽だったとしても、それを聴いて感動したり素敵だと思う人がいるならばそれで構わないと思いますし、充分役目は果たしていると思います。タレントが片手間にやっている音楽や、アイドルの音楽なんかも、同じ様に叩かれる事が多いのですが、それも同様に思います。
そう認識しているので、冒頭に挙げた様に自問自答してしまいました。
尤も本と音楽では芸術の対象が違うでしょうし、事例をひっぱりだして照らし合わせる事は間違いかもしれませんが。
話は変わって、久しぶりに2ちゃんの文学版に行っていくつもスレッドをブクマしたのですが、いろいろスレッドを見て今まで自分が読んでこのブログであれこれレビューしたことが恥ずかしくなってしまいました。というのは、「好きだと言っても恥ずかしくない作家10選」なんていうスレッドがあって見てみたのですが、逆に恥ずかしい作家として自分が好きな作家.....例えば夢野久作とか谷崎潤一郎、泉鏡花なんかがけっこう挙がっていたので.......そうなのかなあ.....と、少しへこんでしまいました。作風が作風なので夢野や谷崎辺りは何となく分かります。また、教科書に載っていそうな作家....芥川、漱石、太宰あたりもほぼ論外。
そもそもこのお題では、作品の良し悪しではなくて、公言して恥ずかしくないかどうかの判断ですので、谷崎の作品なんかは人によってはただの官能小説として受け取られる場合もあるので、そういう意味において恥ずかしい作家としてリストアップされていたのかもしれませんし、芥川、漱石、太宰あたりは誰でも知っている作家であるがゆえに好きだと公言するのが恥ずかしいということなのだと思いますが。
............うぅ、なんだか論点がずれてきちゃった........。
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