Diary of a Madman

癲狂院に置かれた或る一冊のノートブック
狂気の記憶が焼き付いた、深淵なる倒錯の記録の数々。
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谷崎がゴシック小説???

日本近代文芸におけるゴシック風小説−泉鏡花と谷崎潤一郎の場合−

 という記事を偶然見つけました。確か.........自サイトのログの検索キーワードに「谷崎潤一郎 ゴシック」みたいな感じのがあったので、どうして谷崎の小説がゴシックなわけ???と、まさかそんなことってあるわけないとグーグルで調べたら見つけました。


 上記のWebページを見ると、谷崎/鏡花以外にも、夢野久作、ワイルドなどの名も出てきており、それってみんな自分の好きな作家だったりします。肝心のそれらの作家の作品がなぜゴシック風小説なのか説明されているのですが...............いまいちよく分かりません。ただ、泉鏡花がゴシック風というのは以前から知っていましたし、「高野聖」や「外科質」を読んで何となくそういう雰囲気は読み取れましたし、事実アマゾンの洋書で調べてみると、泉鏡花の作品がゴシック小説として出ていますね。小泉八雲の怪談もジャパニーズゴシックホラーとして出ていたと思います。


 谷崎の初期作品は、悪魔主義とかデカダンス、マゾヒズムとは言われていたりしていたようですが、ゴシックとは言われていない....ですよね???  う〜ん........その論文の著者だけがそう思っているのかな..........。ゴシック好きの自分でさえそうは思っていなかったし。でもそう解釈されるのは嬉しいですが。w

 でもでも....リンク先を読んでみると、次の様な記述があります。

谷崎の使うゴシック風の語りは、 明らかに非常に意識的な使い方で、 多分これは鏡花よりも谷崎の方がゴシックの伝統をよく知っていたからではないかと思います。(中略)谷崎は、 一九世紀後期の西洋のゴシック作家たちを広く読んでいて、 アイデアを借りるにしても鏡花よりよほどあからさまに借りています。(中略 ) つまり、 谷崎こそ、 日本のモダニズムの基盤の一つとしてゴシックを確立した一連の作家たちの鎖の最後の輪なのです。

嬉しいことを言ってくれるではないですか!!(^∀^)


 
 ここからは個人的な解釈ですので構わないで下さい。w

 もし仮にゴシック風だったとしても多分関西へ移り住む前の、悪魔主義でいた頃の作品に限るのではないでしょうか。う〜ん....でも........移住後に書かれた「春琴抄」はどことなくゴシックぽい気がしないわけでもない.......。春琴と佐助は共に盲目になって、つまり暗黒の世界へ共に過ごすことになったわけですが、個人的に読んで感じたことは、それがふたつの魂を昇華させた....言葉で言うなら「魂合う(たまあう)」....お気に入りの言葉ですが、魂がひとつに結ばれる、心が通じ合う........という意味なのですが、まさしくそれなのだと思うのです。光を失えど、魂は共に一筋の光へと導かれた....そういう風に感じました。

 別に互いが同じ運命を辿ることがゴシックではないと思いますが、鏡花の「外科質」に出てくる外科医と患者にも言えるかもしれません。紹介した上記のページにも解説されていますが、情事(情愛)が発覚するのを恐れるあまり、麻酔を打つのを拒否しそのまま執刀をうける人妻が、遂に外科医の持つメスを手に取り自らの胸へ突き刺し命を絶ち、後日、その外科医も自殺します。
........なんてそれだけでは何で自殺するのか分かりませんね。作品内では、外科医の若者と、或る伯爵夫人の患者が昔、面識も無い間柄の上に言葉も交わさず「たった一目」見ただけなのに、どういうわけか二人とも相互に惹かれたらしいのです。で、麻酔にかかると「愛してる」だののうわごとを言ってしまうのではないかと、人妻の身分であるゆえにそれが許されないことだと伯爵夫人は決意し、自らメスを取りあげる........巻末の解説から考えてもたぶんそういう内容/解釈なのだと思います。もちろん、「ありえない」話ですが、思うに、いわゆる「観念的」な象徴として描くためのシチュエーションなのではないかと.........個人的には思っています。


 ここで先に挙げた2つの作品で考えてみると、仮に破滅するのが闇ならば、光は愛といえるかもしれません。光と闇が互いに逆の方向へ働こうとする力が大きければ大きい程、ゴシックらしくなる気がします。以前にも「二律背反」という言葉を使って書きましたが、人がどう思おうと、自分ではゴシックはそう感じます。醜悪なものと美麗なもの。惡と善。黒と白。闇と光。

 

 前にも同じ様なことをこのブログで書いてるはずですが、結果的に、自分の好きなモノの多くがみなゴシックの要素を含んでいた.....ということなんですよね。もちろんここでいうゴシックは自分勝手な解釈のゴシックも含めてです。別に無理してゴシックと呼ばれる物ばかりを追い求めた結果ではなくて、知らず知らずのうちに好きになっていたものが実はゴシックだった....ということです。うぬぼれていますが、こういうのを発見する度にやっぱりそうなのだと思ってしまいます。


(2006/08)

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