まず訂正です。下書きを済ませたのは去年の初めでしたが、去年一年間も読みませんでしたので結果に二年間ということになります。
というわけで、近年マンガを読まなくなってしまいました。話がそれだけならばわざわざ取り上げる必要もありません。実は前々からマンガに対して思う事があり、それが結果としてマンガを読まなくなっていった理由になっているのではないかと考えました。
まず、絵柄とストーリーの両方を楽しめない場合が多い、ということ。
絵は好みなのにストーリーが馴染めない、あるいは絵はそれほど好きでもないけどストーリーは好み、という具合。近年買うマンガはほとんどジャケ買いならぬ表紙買いなので、前者の傾向が圧倒的に多いです。これが残念なんです。他にも読み始めはストーリーが気に入っていたけど、途中から好みの方向からずれていったとか、自分本位な勝手な理由ではありますが、残念に思います。
そして、台詞などの文章に違和感を感じる、ということ。
端的に言えば文章力。いくら台詞といえどあまりにも語彙が少なすぎる場合や、逆に難語をどこからか引っ張りだしてきたかのような借用の文章など。、気になります。「ら抜き言葉」なども気になりますが、まあ時代とともに文法も変わってゆくからそれも仕方ないところはあると思います。見れる、寝れる、食べれる、来れる、着れる、辺りは仕方ないとしても、例えば.....開けれる、止めれる、抜けれる等、強引すぎるのは勘弁してほしいです。個人的には前者の類いも文章ではNGです。読んでいて気になってしまうんです............。
さらに、内容もさることながら「キャラ萌え」の傾向に付いてゆけない、ということ。
小説にしても近年のラノベでは、ストーリーよりもキャラを如何に描くか萌えられるか、という傾向があるように思えます。前にも書きましたが、「萌え」という要素がひとつの分野になり、それによる市場が出来る様になると、やはり商業としてはそういう要素を売りにしていくことは当然の成り行きだと思うので、これも仕方の無い事なのかもしれません。しかし登場人物の特徴などのデータが尋常無く事細かに出てくるのが鬱陶しいんです。ページ欄外や巻末にそうした詳細がずらーっと載っていたりするのがちょっと。ストーリー内で読者にそれとなく知らせる方が自然で好きです。というかある程度はばっさりと端折ってほしいです。ストーリーがしっかりしていればそれほど問題ないはず。
今までに読んだマンガを例にすると、「東京大学物語」の台詞(文章)は問題なく読めました。文章がしっかりしているしその点に置いては非常に好感でした。ただ物語の展開が自分の好みではなく結末も少し裏切られた気持ちになりました。そこが残念でした。「名探偵コナン」も台詞の文章で気になるということはありませんでしたし、展開も長丁場だけでそれさえなければ良い印象です。「3×3EYES」はら抜き言葉がちょこっとあったのが気になったくらいで特に違和感はありませんでした。以上の3作品は少し昔の作品ですし作者の年齢なども関係あるのかもしれません。その点、「スクラン」と「ホリック」は................。具体的な理由は割愛しますが、自分には受け入れがたい感じなのです。作品自体は悪くなく良い作品だと思うのですが。
..............なんとなく察しがつくかもしれませんが、そもそもの遠因は小説を読む様になったからなのだと思います。小説の方が面白くて夢中になって結果としてマンガを読まなくなった、というのではありません。小説とマンガのそれぞれの文章の違いが明白で、あまり言いたくはないのですがマンガの文章の方が見劣りしてしまうんです。また小説ならば話の内容さえ良ければ登場人物の雰囲気も好き勝手に好みの想像で補えます。
マンガは絵と台詞の両方で見て読むものですし、そもそも分野も違いますから小説と比べるのはお門違いなのは分かっています。でも.......あまりにも気になってしまうしそれのせいで面白みを感じなくなってしまうのも事実なんです。マンガは嫌いではありません。好きになれる作品に出会えないんです。面白い作品に出会えれば、自然と手に取り読むはずですから。
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